受賞者一覧
令和2年度/第42回受賞者
【功績申請の概要】
- ヨーロッパでの修業経験で培った豊富な知識と他に抜きん出た技術を生かし、特に本来のフランス伝統菓子を日本人の嗜好と味覚にあった菓子に改良する技術を発展させた。我が国におけるフランスの伝統菓子の定着は、こうした氏の取り組みの成果でもある。
- 新たなチョコレート菓子である“生チョコ”の製造技術を開発し、これを「東京の石畳」としてブランド化して展開することで我が国の“生チョコ・ブーム”の先鞭をつけるなどした。
- フランス菓子の知識と技能を惜しみなく公開して技術指導に取り組み、我が国洋菓子業界の製菓技術水準の向上に貢献した。その優れた技術・技能を発揮しながら、1980年代以降の我が国の洋菓子ブームを牽引し続けている。
- 功績申請の具体的内容
(経歴、人格、識見)
温厚誠実な人柄と進取の気風、卓越した技術力をもって自らの事業と洋菓子業界の発展に取り組み、我が国洋菓子業界を牽引している。特に、若い技術者の国際コンテストへの参加を積極的に支援してその活躍をバックアップするとともに、40年もの長期間に渡って製菓学校の講師を務めるなど、我が国洋菓子界の将来を見据えた後継者の育成に熱心に取り組んでいる。また、団体活動にあっては、直面する重要課題(HACCPの義務化、新しい食品表示の施行など)に洋菓子業界全体が円滑に対応できるよう、その指導力を発揮し、先頭に立って、事業者の理解とその普及に取り組んでいる。こうした氏の真摯な取組に対し、組織内にとどまらず全国の業界関係者から業界の将来を託するにふさわしい業界人と絶大な信望が寄せられており、人間的な魅力と相まって得がたき指導者の一人として畏敬されている。
(専門性)
・渡欧して修業を重ね、帰国後「マキシム・ド・パリ 東京」や「ルコント洋菓子店」など、有名なレストランや洋菓子店を舞台にシェフとして修行の成果を十分に発揮しながら、我が国における先駆的な洋菓子作りに取り組んだ。 “ガレット・デ・ロワ”、“クレーム・アンジュ”や“クレーム・ブリュレ”など、フランスの伝統菓子の技術に氏独自の繊細な製菓技術を加味し、日本人の嗜好に合う新たなフランス菓子を生み出し、商品化に成功した。ヨーロッパで修業時代に習得したチョコレートの技術を応用し、様々な種類のチョコレートとクレーム・ドゥーブル(乳脂肪分の高い酸味のある生クリーム)を組み合わせて、口溶けの滑らかな、いわゆる“生チョコ”と呼ばれるチョコレート製品を作り出した。
・ 欧州での修業から帰国後、まだ国内ではほとんど知られていない“冷凍フルーツ・ピューレ”のようなフランスの新しい製菓材料を積極的に使用して、その使用技術の普及に取り組み、当時国内産の限られた原材料で製造されていたフランス菓子作りに風穴を開けた。
・フランス菓子製造には生クリーム以外にも様々な乳製品が欠かせないが、国内では長い間それらの乳製品を使う場合は高価な輸入物に頼らざるを得なかった。欧州での修行から帰国した氏はそうした実情に対し、優れた原材料加工技術と豊富な知識を生かして国内の乳業メーカーと共に“高乳脂肪生クーム”、“北海道産フロマージュ・ブラン”、“発酵バター”など、安価で本格的な国産製菓原材料の開発に取り組んだ。
(技術・技能の評価)
・前述の「表彰実績」にあるとおり、その卓越した技術・技能の実績とそれを背景としたフランス菓子の普及活動への貢献などにより、数々の表彰を受けている。卓越した技術は教育界からも高く評価され、昭和55年から現在に至るまで40年にわたり、製菓学校の講師を務めている。 豊富な知識と高い技術力が認められ、国家検定制度である「技能検定」の菓子製造職部門の委員を4年間(平成13年11月~15年5月、平成17年6月~19年5月)、主席委員を2年間(平成21年6月~23年5月)務めた。
・渡欧して学んだ菓子作り技術をそのまま生かすだけでなく、日本の消費者の嗜好にあわせて改良を重ね、日本人の受け入れられやすい菓子を新たに創造したが、こうした発想と技術は氏独自のもので、他の技術者のそれとは一線を画すものである。例えば、フランスの家庭で広く作られていた“クレーム・ダンジュ”や、レストランの皿盛りデザートの一種である“クリーム・ブリュレ”などについては、国内では入手が難しかった“フロマージュ・ブラン”(乳白色のクリーム状のチーズ)を使う、あるいは販売に適した容器に詰めるなど、味と形状に様々な工夫を加え、新たな洋菓子店向け製品を開発した。それらの商品は、現在では全国の洋菓子店の定番商品としてだけでなく、コンビニやスーパーの菓子売り場に並ぶまで広く普及しているが、製品が生み出された根底には、氏の優れた菓子作りの技術とフランス菓子のエスプリへの理解、原材料の幅広い知識がある。
(公開・普及状況)
平成4年(1992)に(一社)日本洋菓子協会連合会の公認技術指委員に就任して以来平成28年まで、委員・副委員・委員長として全国33会場においてフランス菓子の知識と技能を惜しみなく公開して技術指導に取り組み、我が国洋菓子業界の製菓技術水準の向上に貢献した。40年間にわたって製菓学校の講師として教育活動に取り組み、氏の習得した技術・技能を基に、基礎技術と食文化について指導し、我が国洋菓子界の将来を担うであろう人材育成に尽力し続けている。
(し界の発展への寄与)
○平成23年(2011)から28年(2016)までの6年間、(一社)日本洋菓子協会連合会の公認技術指導委員長として 「ルクサルド・グランプレミオ」、「ボワロン杯」など、若い技術者を対象とした国内コンクールの充実に尽力した。
○アジアの10ケ国が参加した平成25年(2013年)に東京で開催された「第1回アジア大会(トップ・オブ・パティシエ・イン・アジア2013)」、同じく平成27年(2015年)に東京で開催された「第2回アジア大会(トップ・オブ・パティシエ・イン・アジア2015)」の大会実行委員長として大会を成功に導くなど、我が国洋菓子業界のプレゼンスを高めるとともに、我が国洋菓子業界とアジア各国との交流にも尽力した。
○平成23年(2011)には、ベルギーで開催されたチョコレートの世界大会「ワールド・チョコレート・マスターズ2011」に審査員として招かれ、その重責を果たすなど、我が国洋菓子界のプレゼンスを高めるとともに、国際交流にも大きく貢献した。
○氏が修業したヨーロッパ各国では、味に対する確かな判断力を持たせるべく、伝統的に子供達への食育に取り組んでいるが、帰国した氏は日本人のファスト・フード好みや偏った食生活の現実を目の当たりにし、正しい味覚を身につかせるためにはフランスと同様早い段階で子供達に食に対する興味を持たせることが必要と考えた。そして、小学校の授業の一環として「食育」を提案し、氏の考えに共感する製菓人や料理人と共にその食育活動を開始し、現在もなお取り組み続けている。
○氏は、平成24年(2012)に出身地である三重県尾鷲市の観光大使に就任したことから、菓子作りを通じて地元の農産物や特産品の紹介に取り組むなど、関係業界や地域との情報交流に大きな役割を果たし続けている。
○食品表示法による令和2年(2020)4月からの栄養成分表示義務化に伴い、菓子業界向けに「栄養成分計算ソフト」の開発や平成30年6月に公布された「食品衛生法等の一部を改正する法律」による HACCP に沿った衛生管理の義務化に伴う「HACCPの考え方を取り入れた菓子製造業における衛生管理計画作成の手引書」の作成に取り組むなど、洋菓子業界の衛生意識と衛生管理の向上に尽力した。
(技術・技能の社会への寄与)
フランスでは新年に家族・友人が集まり、伝統菓子の“ガレット・デ・ロワ”を食べる風習があるが、これまで日本では殆ど紹介されることがなかったこの伝統菓子を日本でも広く知ってもらおうと、氏が中心となって平成15年(2003)に「ガレット・デ・ロワの会」が結成され、講習会やコンテスト、あるいは毎年1月に在日フランス大使館を会場に“ガレット・デ・ロワ”を食べる集いを催すなどの活動を通じてその普及に努めた結果、現在では、新年に多くの洋菓子店がこの伝統菓子を手掛けるようになり、一般消費者にも広く味わってもらうことが可能となった。こうした氏の取り組みはフランス本国でも広く知られるところとなっており、その信頼から、今ではフランス大統領を始めとする要人が来日する際に執り行われるフランス大使館での宴や催しの場には、氏の作るフランス菓子は欠かせないものとなっていて、氏は、民間大使として日仏両国間の友好発展に多大な貢献をし続けている。